中国食品 肉まんを信じたいが…
豚肉に段ボールを混ぜた肉まんが北京市内で売られていた、というテレビ映像には驚いた。そのうち今度は市公安局が、あれは“やらせ報道”だったと、これを否定、当の北京テレビはすぐに謝罪したという[1]。中国ではメディアが「党の喉と舌」と言われることでもあり、何を信じていいのか、にわかには分からなかったというのが正直なところ[2]。段ボール肉まんなる物を見せられた際、「あるかもしれない」と感じた人も、残念ながら相当数いたのではないだろうか。その後、テレビ局の関係者には懲役1年、罰金1000元(約1万5000円)の判決が下った[3]。肉まんと中国に絡む事件と言えば、日本では2002年のダスキンによる無認可の食品添加物騒動が思い起こされる。また、報道への政府関与という面からすれば、北京市での出稼ぎ労働者(民工)排除計画を巡る、昨秋の報道と似通ったところが見られる。このときは、08年の北京五輪期間中、約100万人の民工を北京から強制的に帰省させるという新聞報道に対し、人権問題化するのを危ぶんでか、市政府が全面否定している[4]。
http://www.yomiuri.co.jp/onkochi/on20070828_41.htm?from=os1
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輸出産業が爆発的な活況を呈し、国内総生産(GDP)も世界第3位をうかがう勢いの中国。経済成長の半面で、不気味な黒い影が、さまざまな食品の上に色濃く、長く伸びている。既に02年時点で、ある調査では「できるだけ購入したくない中国製品」として回答者の7割が「食料品」を挙げた[5]。片や「まったく抵抗なく購入している中国製品」は、7割が「衣料品」。数年たった現在も事態が好転する兆しはない。横浜・中華街の中国食材販売店を映すテレビ画面では、「安全」を強調する張り紙の傍らで、このところ売り上げが半減したと店主が嘆いている。ここ数年間の記事から、安全性に問題が指摘された中国産の食品を列挙してみると(カッコ内は検出された違反物質)。ウナギかば焼き(抗菌剤)、シジミ(抗生物質)、冷凍エビ(同)、冷凍エビフライ(大腸菌)、ウニ加工品(ホウ酸)、冷凍ホウレンソウ(農薬)、冷凍枝豆(同)、シュンギク(同)、マツタケ(同)、エリンギ(同)、モロヘイヤ(同)、タケノコ水煮(二酸化硫黄)、アヒル肉(鳥インフルエンザウイルス)、エビ水ギョウザ(発がん性添加物)、はるさめ(漂白剤)、スイカの種(チクロ)、ウーロン茶(殺虫剤)……たしかに異様だ。
空前の大量消費時代が幕を開けた中国。ロー・コストでハイ・リターンを追求する産業原理が、食品分野をも覆っているだろうことは想像に難くない。残留農薬にまみれた野菜など安全基準に達しない食品があふれ、また水を注入して重量を増した「注水肉」、アミノ酸が足りない醤油など不正・粗悪な食品が横行する現状には、中国国内でも不安が大きい[6]。モノであふれだした大陸が工業化の浸透で刻々と汚染され、大地が呻吟し始めているのではないか。そうした土や水から生み出される“恵み”は歪んだものにならざるを得ない。一足先に環境汚染を経験した日本には、さらに協力の余地があるのではないだろうか。
むろん、日本企業は進出の歩みを緩めてはいない。トーメンは98年から、江蘇省の工場で十数種類の野菜を冷凍して日本へ送り出し始めた[7]。イトーヨーカ堂は05年、北京に合弁食品スーパーを初進出、グループのセブン―イレブン・ジャパンも店舗を展開中だ。また、ハウスは日本式のカレーライスのなかった中国で02年にレトルトカレーを発売、04年には上海でカレー専門店を開いた[8]。一方、官民14機関で組織する「北海道・東北21世紀構想推進会議」が上海で行った消費実態調査(若い中高所得者が対象)によると、「すし、刺し身、わさび、カレー、ふりかけが子供に人気」「油や塩分が少なく、栄養バランスがいい」など、日本食は好評価を得ている[9]。こう見てくると、日本と中国の食が徐々に類似化の傾向をたどりつつあるようにも思われる。
ところが、彼我の食生活が似てきそうだとは言っても、それが蔓延するコンビニ商品に代表されるもの、冷凍・レトルト・ファストフード・デリバリー化といった安直・簡便の方面だけであるとするなら、なんとも味気ない。中国では10年間で肥満児がほぼ倍増したという統計もある[10]。“食卓のない食事”とも言うべきファストフード化の最大の特徴は、作る過程が見えないという点だろう。「店でも家庭でも、以前は料理を作る過程がきちんと見えていました。(…)足を運びその土地に触れなければ本当の味はわからない」と、かつて食文化研究家・小菅桂子さんが指摘した言葉は[11]、日中の食がさまざまな局面で相互交流し始めた現在、ますます重みを増している。はたしてそれらが、「食文化」の名に値するのかどうかという疑いは残るものの。
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食は、大量消費や経済戦略の観点一辺倒でなく、そこから半歩ないし一歩離れて吟味すべき、人間にとって最重要の根源的な対象ではないだろうか。十数年前のこと、古都・洛陽での一夜、「水席(すいせき)」料理なるものを供された。唐代の独特のご馳走で、そのほとんどがいわゆるスープ料理なのだった。聞けば「疲れた旅人を癒やすための工夫」と言う。シルクロードをたどった隊商の一員の心地にもなり、臓腑にしみた。またある時は杭州・西湖のほとりで、彼の地の為政者でもあった大詩人・蘇東坡が考案したという東坡肉を食しつつ、感激で胸を熱くした――食はやはり、その地に根ざしたものを可能な限り取り入れてこそ。狂奔する経済の大渦の中で、愛惜限りない中国の食が衰微することのないよう、切に、切に願う。(尾)
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