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食の安全と貿易

SPS協定における貿易ルールの改善を提言
1月に発覚した中国産冷凍ギョウザによる中毒事件に続いて、4月アメリカから輸入された吉野家の牛肉に特定危険部位のせき柱が入っていたことが分かりました。食品は、口から体に入り、人の生命・健康に直結するものなので、それが安全でないかもしれないとなると大変な問題になります。もちろん、人間は生きるために昔から食べてきたわけですが、今日の問題は現代社会の2つの特徴が結びついて起こっています。

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/archives/028.html

1つは科学技術の進展によって、農業や食品産業が一昔前とは大きく変わっているということです。たとえば、コシヒカリや霜降り牛肉など以前は考えられなかったようなおいしいものが食べられるようになっています。これは作物や家畜の改良という技術進歩の賜物です。また、簡便な冷凍食品が普及していますが、これも加工や流通の技術進歩の賜物です。しかし、技術進歩によって、農薬や食品添加物が使用されるようになったり、草だけを食べてきた牛に牛の肉骨粉を与えるようになってBSEという新しい病気が発生してしまうという問題がおきています。遺伝子組み換え食品という新しい技術についても、そのリスクが十分にはつかめないという消費者の不安があります。

もう1つは、グローバル化や貿易の進展です。これ自体は世界中からよいものを安く消費者が買えるようになるということでよいことです。しかし、ここでもマイナスの側面があります。BSEも貿易がなければ日本で発生しなかったのです。今回の事件ではギョウザを作った会社、牛肉を処理した会社が特定されていますが、食品の場合には原料の農産物を生産する農家が多数いるし、加工や流通の段階が多いと、だれが問題を起こしたのか特定できない場合が起こります。自動車であれば製造した企業が不良品のリコールをしますが、食品や農産物の場合には民事的な処理が難しい場合があるのです。

食品・動植物の輸入を通じた病気や病害虫の侵入を防ぐための規制を衛生植物検疫措置(SPS措置)といいます。食の安全のためには十分なSPS措置によって貿易を規制すべきだということになるかもしれません。しかし、これにもマイナスの側面があります。ガット交渉を重ねてきたおかげで関税や輸入制限という措置は国内の産業保護のためにはあまり効果的ではなくなっています。そのために関税などに代わってSPS措置を使って国内産業を保護しようとする動きが出てくるようになりました。貿易の促進のためにはこのようなやり方を規制すべきだということになります。しかし、人の生命・健康のためにSPS措置が重要だということも事実なので、どのようなSPS措置が隠された貿易制限措置として規制されるべきなのかを判断しなければならなくなったのです。

1986年からのウルグァイ・ラウンド交渉の結果、世界貿易機関(WTO)が出来ました。そのWTOのなかにSPSについての協定があります。このSPS協定は、この問題の解決を「科学」に求めました。科学的根拠に基づかないSPS措置は認めないとしたのです。生命・健康へのリスクが存在すること、そしてSPS措置によってそのリスクが軽減されることについて、科学的根拠が示されないのであれば、その措置は国内産業を保護するためではないかという疑いが高いと判断するのです。

しかし、SPS措置を科学に基づかせることに総論的にはどの国も異論がないとしても、貿易の促進を望む輸出国と、科学が間違った結論を出した場合に病気の侵入や健康被害のコストを負担する輸入国との間で対立が生じます。

科学にもさまざまな意見や見解が存在しますし、また変化します。かつて安全とされた食品や添加物に発がん性などの新たなリスクが発見される場合もあります。BSEも1996年にイギリス政府がBSEと人の変異型クロイツフェルド・ヤコブ病とが関連しているのだと発表するまでは、だれもそれに科学的な根拠があるとは考えなかったのです。このときにイギリスから牛肉の輸入を禁止すればWTOに違反と判定される可能性がありました。このようなときにどうするのか? まったく科学的な情報がないときどうするのか? 少数意見を採用してもよいのか? また、SPS協定は貿易促進の観点からできる限り国際基準に従ってSPS措置を導入することを求めています。これをハーモナイゼイションといいます。BSEについても日本は輸入されるアメリカ産の牛肉は生後20カ月齢以下のものに限っていますが、国際基準では月齢がどうであろうが輸入を認めなければならないことになっています。今回の牛肉の事件についてもアメリカからは日本の規制が厳しすぎるからだという批判も出てきています。こうした問題をめぐって今後SPS協定の解釈や運用が大変重要になってきます。世界の消費者運動の関係者はSPS協定に大変な関心を寄せています。

また、先進国でのSPS措置の高度化によって、これに対応できる技術や人的資源を有しない途上国の農産物輸出がますます困難になるというおそれも指摘されています。

SPS協定の制定経緯や仕組みを法学および経済学双方の観点から解説・分析した論文や書物は内外とも見当たりません。SPS協定およびパネルや上級委員会の報告書は法律的な文書ですから、国際経済法を専門とされる方を除き一般の読者には難解なものとなっています。このため、できる限り図や表を用いて概念をわかりやすく整理するように努めました。また、抽象的な議論だけではなく、BSEや遺伝子組み換え食品の問題等できる限り国民・消費者にとって身近で関心の深い具体的な事例に即して説明するように努めました。

これまでWTOにおける紛争解決手続は、その結論に至る過程で、国民の生命・身体の安全や健康の保護を図るという各国の主権的権利を尊重した判断を行ってきています。しかし、訴えられたSPS措置に問題があったにせよ、最終的には措置の導入国に不利な結論が下されている点は否めないところです。本書では、食品等の安全性について、国際間でSPS措置の違いが存在しても、どのような場合が保護貿易の隠れ蓑ではなく合理性があるのかを分析するとともに、貿易への影響を最小にしつつ各国の経済厚生水準を最大化するという観点から、SPS協定における貿易ルールの改善を提言することとします。

食の安全や貿易(交渉)に直接関係する行政や農業・食品産業に携わる方々、国際経済学、農業・食品経済学、国際経済法等を研究する学生・研究者はもちろんのこと、本書が食品の安全に関心をもたれる消費者グループやNGOの方々に幅広く読まれ、WTOやSPS協定についての理解の一助となることを希望します。

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